【被災地からのコラム】津波で流された友達の写真捜す4人の小学生 朝日新聞仙台総局・竹井周平

宮城県女川町で3月、津波で流された写真の返却展示会がありました。来場者のなかに、学校の友達の写真を捜す4人の小学生がいました。「今日、その子来られないから」。4人はそう言ってアルバムをめくります。
津波で流された写真の返却展示会が3月に宮城県女川町でありました。
女川町は震災の津波で住宅の7割が流され、約1万人いた人口は現在約7千人まで減りました。町では9万枚余りの写真が回収され、約5万枚が持ち主へ返却されてきました。
しかし、町は3月で返却を打ち切り、残りの写真は持ち主と再会せずに処分されてしまいます。この返却会が最後になることもあって、来場者の目は真剣そのものでした。
写真を捜す大人の中に、4人の小学生がいました。写真の入ったアルバムをのぞき込み、小さな手でページをめくっていきます。気になって、話しかけてみました。
「どんな写真を捜しているの?」
「学校の友達の写真だよ。今日、その子来られないから」
「遠くに住んでいるの?」
「違うよ、近くの公営住宅。津波で家が流されちゃったみたい」
「見つかるといいね」
その後、テーブルに並ぶアルバムをのぞき込んで写真を捜す彼らのあとを、私もついていきました。海水をかぶった影響で、表面が白くはげて何が写っているのかわからない1枚を見つけた子どもが声をあげました。
「うわっ!これ、ボロボロだな」
「仕方ないじゃん。あの津波をくらったんだよ」
「んだな。家、めちゃくちゃになってたもん」
会話が耳に入り、思わず尋ねました。
「震災の後はひどかった?」
「うん。こわかったんだよ。がれきばっかだし、くさくてさ」
子どもたちはよく覚えていました。あの日の光景、恐怖、においを。
笑った顔ではしゃぐ様子や、展示場内を駆ける姿はどこにでもいる普通の小学生です。
しかし、言葉の端々から、彼らも被災者であることを考えさせられました。関東や関西の小学生の会話には、「仮設住宅」「がれき」「災害公営住宅」といった言葉は出てきません。大学生や社会人でも使うことはないでしょう。そんな言葉を、被災地では、大人だけでなく子どもたちが普段の会話で使っていました。
被災地だからこその気遣いを子どもたちはみせてくれました。友達の名前と誕生日が書かれた赤ん坊の頃のアルバムを見つけ、その子の母親に渡してきたそうです。
「めっちゃ、喜んでくれた。やっぱり少しボロボロでも、見つかるとうれしそうだった」
目的の品を見つけたと思っていたら、子どもたちはまたアルバムをめくり始めました。自分の写真がまだ見つかっていない子もいたのです。自分の写真捜しを後回しにする子どももいます。
「困ったときはお互いさまだよ。友達の方がうちらより、写真ほしそうだった」
「喜ぶと思った。震災のあと、何も言わなくても、いろんな人に助けてもらったし」
被災地の子どもたちは、大変な境遇で過ごしています。ただ、人の心に寄り添い、思いやる気持ちは強く、たくましいと感じることがたびたびあります。
復興にはまだまだ時間がかかり、大変な苦労があります。それでも、4人の小学生を見て、将来を心強く思いました。