【被災地からのコラム】「真心」の種から育った交流 朝日新聞宮古支局・阿部浩明

本州の最東端に位置する岩手県宮古市と、沖縄県の先島(さきしま)にある多良間村。2000㌔以上離れた市と村で、30年近く子どもたちの交流が続いています。自然や文化、風習、食べ物……。北国と南国でまるで異なる「驚きの初体験」を楽しみながら、友情を育んでいます。
宮古と多良間の縁は、江戸時代末期にさかのぼります。1859(安政6)年、宮古の商船「善宝丸」が江戸に昆布などを運んだ帰り、暴風雨に見舞われました。76日間の漂流の末に流れ着いたのが多良間島だったのです。7人の乗組員は島民から手厚く看護され、無事に宮古へ戻ることができたのでした。
長く埋もれていたこの史実が、1974年に宮古市の郷土史家によって発掘されました。それを機に両市村の交流が広がり、87年から児童生徒の相互派遣が始まりました。飛行機3回と新幹線を乗り継ぐ長旅ですが、お互いの遠さを実感しつつ、ホームステイや学校での体験授業などを重ねています。
昨年12月上旬、多良間の子どもたち8人が宮古にやって来ました。白銀の区界高原で初めての雪あそびを体験したほか、宮古の冬の風物詩「新巻きザケづくり」にも挑戦。果樹園でりんご狩りも楽しみました。
写真説明:果樹園ではたわわに実ったりんごに感動=岩手県宮古市
震災学習では、田老の巨大防潮堤「万里の長城」や津波の映像を見ました。「改めて震災について詳しく学び、自然の驚異や復興の難しさを感じました」と多良間中2年の豊見城玄聖君(14)。2年の山川梨緒さん(14)は「(被災地で)生活している人たちの明るく前向きな様子に強さを感じました」と感想をつづりました。
年が明けて1月初旬、今度は宮古の子どもたち8人が多良間を訪れました。黒糖を作る工場を見学したり、機械でサトウキビを絞ったりしました。工場には毎年、宮古から20人ほどが出稼ぎに行きます。三陸の冬の海では考えられないシュノーケリングも体験。最後は、メッセージを入れた「夢缶」を作って友だち同士で交換しました。はたちになったら開封する約束です。
写真説明:絞り機にサトウキビを慎重に入れてみる=沖縄県多良間村
冬でも半袖、短パンで過ごせることに驚いたという亀岳小6年の村松花菜さん(12)。「ホストファミリーの家でおじいさんが弾いてくれた三線(さんしん)の音色が忘れられません」と振り返りました。
写真説明:伝統芸能の「八月踊り」を披露する中学生=沖縄県多良間村
157年前にまかれた「真心」の種が、はるか数千㌔を超えて心通わせるきっかけなった奇跡。大切に育てて、交流が末永く続きますように。
ヘッダー写真説明:手ほどきを受けながら新巻きザケづくりに挑戦=岩手県宮古市