【被災地からのコラム】被災した小学校が閉校 最後の卒業生が語る「夢」は? 朝日新聞仙台総局・船崎桜

東日本大震災の津波に襲われた仙台市若林区の市立荒浜小学校が3月末で閉校しました。3月26日にあった閉校式と校舎前で開かれた閉校記念碑の除幕式には、卒業生ら延べ550人ほどが参加しました。荒浜小の最後の児童になった16人の子どもたちが語るふるさとへの思いや夢は、どんなものだったでしょうか。
「142年間、地域とともにあった荒浜小。この小学校で学んだことを誇りに思います」
「僕たちの母校、荒浜小学校。ありがとう、荒浜小学校」
集まった卒業生や地域の人たちの前で子どもたちが声をそろえると、涙をぬぐう教職員や保護者もいました。
荒浜小の周りは震災前、約800世帯が暮らす住宅街でしたが、津波でまち全体が流され、校舎の2階まで浸水しました。いまは住宅などを新たに建てることができない「災害危険区域」になり、4階建ての校舎がぽつんと残ります。2011年4月から、東宮城野小(宮城野区)に併設された校舎で学んできましたが、4月からは、七郷小(若林区)に統合されて、荒浜小は142年の歴史に幕を閉じます。旧校舎は震災の教訓を伝えるための遺構として残されることになりました。
卒業した6年生8人は、小学1年生の1年間だけ、旧校舎に通いました。ほかの3年生4人、4年生4人は、旧校舎での生活を知りません。そんな中、支えてくれた荒浜の人たち、併設校の仲間たちへの感謝を大きな声で話しました。
写真説明:荒浜小の校歌を響かせる最後の卒業生8人=仙台市宮城野区の東宮城野小
「僕たち3年生は、荒浜のことはあまり覚えていませんが、地域の人たちにたくさん話を聞いてわかったことがいっぱいあります。学芸会、運動会など、どんなときでも集まって笑顔で見守ってくれた荒浜のみなさん。大切にしてくださってありがとうございました」
「僕たち4年生も旧校舎で過ごしたことはありません。東宮城野小の人と仲良くできるか心配だったけど、いまでは一緒にする勉強や給食が楽しみになりました。4人ではできないサッカーも大勢でできて、とっても楽しい4年間でした」
卒業生たちは、震災を糧にして強く生きていく決意とそれぞれの夢を語りました。
畠山颯汰君(12)は「海と田んぼの美しい景色が広がり、たくさんの笑顔がある荒浜を取り戻したい。そのために、旧校舎に荒浜を伝える資料館を作り、お茶を飲んで一息つけるようにしたいです」。
庄子さくらさん(12)は「小学校の先生になりたいです。震災のあの日、何が起こったのか、何が大変だったのか。そして多くの人の優しさも子どもたちに教えたいと思います」。
ほかにも、プロ野球選手になって支えてくれた人たちに恩返しする。ダイバーになって海は怖いだけではなくて豊かなんだと伝えたい…。5年間、ふるさとの復興の様子を見ながら、自分たちに何ができるか考え続けてきた気持ちが伝わってきました。
閉校式には、数年前に卒業した中学生から20代の若者たち、数十年前の卒業生もたくさん集まりました。閉校の寂しさの中、力強い言葉にみんなが励まされ、希望を感じたと思います。荒浜を忘れない、という思いがあふれていた一日でした。
写真説明:荒浜小の旧校舎前につくられた閉校記念碑を卒業生8人で除幕しました。校舎には「ありがとう荒浜小学校」の看板が掲げられています=仙台市若林区
ヘッダー写真説明:閉校式で荒浜小の16人の子どもたちが思い出や夢を語りました=仙台市宮城野区の東宮城野小