【被災地からのコラム】熊本で自身が癒やされ 宮城・南三陸から派遣された養護教諭 朝日新聞仙台総局・若井琢水

熊本地震の支援で長期派遣されていた、宮城県南三陸町立志津川中学校の養護教諭、遠藤幸(ゆき)さん(28)が11月、宮城県庁で報告会を開きました。自身も津波で町内の実家を流され、多くの親戚や友人を失いました。「被災地を目にして自分がどうなるか心配だった」という不安を払ってくれたのは、同じ立場に置かれた子どもたちでした。
遠藤さんは6月から約5カ月間、被害の大きかった熊本県益城町から南に10キロほど離れた御船町立小坂小へ派遣され、保健室で児童の心のケアを任されました。校舎は大きな被害を受け、施設の半分が利用できなかったそうです。体育館は避難所に。教室は使えず、一部の学年は、理科室や家庭科室で普段の授業をしていました。震度5弱以上の余震が襲ってくることもあったといいます。
接した子どもは様々。登校すると、まず保健室で1時間仮眠する子。車中泊が続いていて、まともに寝ていなかったそうです。放課後の教室で宿題を終わらせてから帰る子も。半壊した自宅で勉強できる場所がないためでした。余震で家が崩れるかも、という恐怖感で睡眠不足に陥った子どもはたくさんいた、とも語ってくれました。
遠藤さんは「直接話さないと分からないことが多かった。各家庭の事情を受け入れてあげることが大切」と振り返りました。こうした大災害の後は、子どもたちに何が起きたのか1人ずつ記録していき、担当者が代わっても教師全員で支えられる態勢づくりが大事だとも感じたそうです。
熊本に派遣される前は、まだ自分の中で被災体験を整理できてなくて不安を抱えていたという遠藤さん。でも、自分の体験を話すと「先生も同じ思いをしたんだ」と共感してくれたそうです。ある子どもは「将来、先生みたいに被災地に駆けつけられる大人になりたい」。
子どもたちをケアするなかで、自分も一緒に癒やされていたという遠藤さん。「今回学んだことを同僚にも伝えていきたい」。震災以来立ち止まっていたけれど、一歩進めた気がする。そう言っているように思えました。
ヘッダー写真説明:熊本での活動を報告する遠藤幸さん=仙台市青葉