【被災地からのコラム】娘の思い出のタイヤで造った遊具 岩手県大船渡市の小学校に設置 朝日新聞盛岡総局大船渡駐在・渡辺洋介

東日本大震災で被災した岩手県大船渡市の市立越喜来小学校の校庭に2月、タイヤの遊具が設置されました。津波で行方不明となっている北里大生・瀬尾佳苗さん(当時20)の父・真治さん(62)が、仲間とともに娘の思い出の品でつくったものです。
2月上旬、埼玉県志木市の居酒屋「越喜来や」の常連客ら、首都圏から来たボランティア約25人のなかに、真治さんの姿がありました。昨年11月に移転したばかりの真新しい校庭に、タイヤを半分埋めて一列に並べ、赤、青、黄色のペンキで、鮮やかに塗りました。そのうち4本は佳苗さんが夏タイヤとして使っていた思い出の品でした。約4時間かけて造った遊具を前に、真治さんは「越喜来を愛した娘も喜んでいるはず」と話しました。
▲写真説明:タイヤの遊具を完成させたボランティアたち=岩手県大船渡市
佳苗さんは東京都練馬区で生まれ育ち、震災当時は大船渡市にある北里大海洋生命科学部の2年生でした。動物好きで、将来は水族館の学芸員を目指していたそうです。将来は東京には戻らないと言うほど、大船渡を気に入っていたといいます。2011年3月11日は、車イスの高齢の女性を助けようとして、津波にのまれたとみられています。
遊具設置は、教員たちの発案でした。津波で被災した同小は昨年11月に新校舎に移転しましたが、旧校舎で児童に人気のあったタイヤの遊具を、新校舎にも造りたいと、地元の建設会社に相談しました。
震災後、毎月のように同市を訪れ、この建設会社と交流のあった真治さんは、東京の自宅のベランダに保管していた娘のタイヤを使うことを思いつきました。佳苗さんの小中学校の同級生の母親が2012年に開いた居酒屋「越喜来や」に通う常連客やボランティアも手伝うことになりました。
これまでに同市で娘をしのぶ石碑の設置やハマナスの植樹をしてきた真治さん。「またひとつ娘がここで生きた証しができました。越喜来の子どもたちに楽しんでもらいたい」と話しました。
震災から6年。佳苗さんの思い出の品が、今度は児童たちの人気の遊具としてよみがえっています。
ヘッダー写真説明:思い出のタイヤに色を塗る瀬尾真治さん=岩手県大船渡市